寄付っていつから偽善って呼ばれるようになった?
三崎優太氏がランドセル寄付への批判に反論「偽善とか言う人もいるけどやってから言えよ」(東スポWeb) - Yahoo!ニュース
青汁王子がランドセル配ってたことを公表したら偽善と叩かれているそうです。
え、偽善じゃなくてガチ善行じゃないの?
気になって偽善の意味を調べてみた。
うわべをいかにも善人らしく見せかけること。また、そういう行為。
偽善の反対語が善行な訳ではないことにびっくりしました。
なんか偽の善行的な意味かと思ってた。
つまり善行を行う偽善者がいるのは別に矛盾したことじゃないんですね。
ちなみにこのページ、ユーザー投稿の偽善の意味面白いです。
個人的にはゆーすけさんとぽぽさんの解釈が面白いです。あとはみんな中学生かな?
色々ググってみると、東日本大震災の頃に「芸能人が●●万円寄付しました」って公表し始めたあたりから、寄付の公表=偽善と叩かれるようになってきたんですかね。
Twitterで気軽に発信&叩くことできるようになったので
「寄付を公表しない」→「お金もらっているのになんで寄付しないのか!欧米では〜〜」
「寄付を公表する」→「売名行為!偽善者!」
というデッドロックが簡単に生まれるようになったんですかね。
うーん、表現の自由は最高だな。
ビートたけしが語る「震災ボランティアと偽善の境界線」|NEWSポストセブン
これまたクッソ気持ち悪い記事を見つけた🤮🤮🤮
金額公表しているやつを軽く叩きつつ、まあ俺もしてるけどね、と後付け。
以下、色々考えたこと
・寄付したら普通に公表すればいいと思う。金額も別に出していいんじゃないかな。
そもそも募金って金額の寡多じゃなくて気持ちの問題だと思うんだ。
だからまあ「芸能人が10円寄付しました!」って公表して叩かれるのはなんかわかる。
結論、「寄付しました!」くらいでいいんじゃないかな
【リトルバスターズ!】
— 深夜アニメ名言bot (@nightanime_bot) 2017年8月23日
神北小毬「金額なんて問題じゃないよ。募金で集めるのは、ちょっとした優しさだから。五円でも、優しさが篭ってれば、それはとってもプライスレス」
・東日本大震災が起きた時に、小学生がゲーム買うお金を我慢して募金したというニュースがあった気がして、小学生にこの偽善者が!なんて言わないでしょう。
つまり芸能人はなんか叩いとこうという心理なんですかね。ネットイナゴ取り締まる法律できるといいね。
・寄付の文脈で偽善と呼ばれる行為ってどんなもんかなって考えた。
「(僕はしないけど)寄付しましょう!」って呼びかけることは偽善なんだろうか。だったらPR系の仕事してる芸能人はみんな偽善者なのかな。仕事だから人格と切り離して考えたほうがいいのかな。
・でも言葉の意味考えたら、公表した善行は全て偽善になるんじゃないか?
A : (本当は売名だけど)皆さんのことを思って、100万円募金します→偽善
B : (本当はうるさくないけど)アンチがうるせーから、100万円募金します→偽悪
なんかBのほうがいいやつそうに見えるトリックを見つけてしまった。
・でも言うほど、うわべの気持ちで100万円寄付できますかね。
多分いい歳した社会人がためらわずに出せる金額って1000円くらいだと思うんですね。
1万円すぐ出す人は、まあ普通に考えてなかなかいないと思うんだ。
その中で100万円ってすごくない?いくら金持ちとはいえ、僕は普通にすごいと思うけどな。
・個人的には駅前で街頭募金「ペットの殺処分やめましょう」「海外の子供達を救う」みたいな募金は、募るくらいなら自分でバイトして全額突っ込めよと思ってる。これを偽善っていう気持ちは理解できる。つまり僕も同じ穴のムジナなんだろうか。