その辺のSWEの日記

平成生まれのITエンジニアです。IT企業の愚痴を投稿し続けます

10年くらい前に東大落ちた話 センター試験編

あけましておめでとうございます。

いとこ?が受験を終えて、無事に大学入学が決まったそうで、「おじさんはどんな受験だったの?」と聞かれたが、思い出してみるともう10年も前のことになるらしい。

自分にとってはなかなか苦い思い出なので、ここで振り返って膿を出しておくことにする

 

 

高校入学の頃のモチベ

中学を卒業する頃に、ふと将来の夢を考えて何もないことに気づいた。

高校を考える時、兄が行ったそこそこの高校に行くものかと思ったけど、そこに行ったら、中学校の延長のような人生がめちゃくちゃつまらなくなるような気がした。

どんなきっかけかまるで覚えていないが、通学できる範囲でもっとも偏差値の高い高校に行こうとした。

その理系のTOP10%に入れば、東大や医学部に入れると聞いた。

親も多分そこまでは期待していなかったと思う。

よくわからないが、医者はそんなに勉強しなくても真面目に生きていればなれるもんだと思っていた。

この時点では間違いなく間違った認識だけど、今思うとあながち間違いではない気がする

 

高校入学すぐのモチベ

高校に入ると当たり前のようにほとんど成績はビリだった。

親はたいそう心配していたようだったけど、勉強しろ!というよりは自分が潰れてしまわないのか心配だけしてくれたのが良かった。

医学部に進学できるのは理系の上から10%なので、当時の自分は到底無理だった。

担任はまだ1年だし全然諦めなくて良いように言ってくれたが、自分はやっぱり無理かとほぼほぼ諦めてしまっていた。

ただ勉強することはあまり苦じゃなかったし、素晴らしい友人にも恵まれた。

高1が終わる頃にはやっと平均くらいには成績が戻った気がする。

親はまだまだ心配していたようだったが、3者面談で大して話したこともない副担任に、

「彼はまだ50%くらいの力しか発揮していないようですし、今後間違いなくもっと上を目指せます。ただやる気いつまでも出さないとこのまま落ちぶれます」

と言われて、親はたいそう嬉しそうにしていた。

ちなみに当時の自分は真面目にやっていたつもりだったが、まだやれると言われて半ば呆れつつも、もう少し頑張ろうと思った。

高校2年

高2になりいよいよ志望校をそろそろ固めないと行けなくなったが、当時の自分はすっかり医学部志望の気持ちは失せていて、旧帝国大学を目指していた。

ただ、実際の学部を探してみるとまるで行きたい学部がないことに気づいた。

オープンキャンパスにもいくつか参加してみたが、なんとなく化学、もっと広い範囲での科学が好きで、

医者になる、建築学びたい、機械工学行きたい、情報系に行きたいみたいな学部ベースでの志望が全くなくて、とても困った気がする。

担任は行きたい学部ない奴は東大を目指せって言ってきた。進振りがあるから!と。

自分には関係のない話だと思っていたが、コツコツと勉強は続けていた。

そんな甲斐があって3年に入る頃には理系のトップ層に入った。

 

高校3年〜センター試験まで

3年になったあたりには当時の担任に、ものすごく気に入られていた。

入学当初からの成績の伸びもとても顕著なものだったらしく、これはもう東大行くしかないと言われた。

(担任としても生徒を東大に受験させた方が評価が上がるのだと、今になっては思う)

親も気を良くして東大受験頑張ろうという話になった。

自分の得意科目は物理・化学、数学、英語、国語の順だった。

特に物理と化学は得意だった。模試でもほとんど満点だったと思う。

東大模試などの難問模試でも高得点を維持できた。

駿台模試とかって偏差値100出て面白いよね)

数学は章末問題、期末問題、普通の模試だと全く苦手意識はなかったが、難問模試になると急に点数が伸び悩んで、自分が数学苦手かどうかわからなかった。

英語は特に苦手意識はなかった。

国語は現代文が致命的にできなかった。

 

センター試験の模試はだいたいいつも8割だった。

めちゃくちゃ出来が良くても8割で、これはやらかしたなーと思っても8割だった

内訳は

数学1 90

数学2 90

英語 150

国語 140

物理 90

化学 90

地理 70

くらいだった。

数学はだいたい100点取れるはずだったが、癖のある問題はよくミスっていた。

物理と化学はたまに、絶対知らんやろこれみたいな知識問題が出てきて、もうこれを追うのはやめようと思った。

地理はもう半分諦めていた。理系でセンター社会高得点狙うなら取るなら地理!と口すっぱく言われたが、80点狙いの自分は現代社会でよかったなと思う。

国語は古文・漢文は満点だったが、現代文はマジのガチャだった。

ただ秋くらいにやっとコツを掴んで、消去法で2択まで絞るのはほぼ完璧になっていた。仲のいいバカな奴にいっつも国語で負けていてよく笑っていた。

英語は得意なはずなのに、なんでか点数が伸びなくてよくわからなかった。

リスニングも長文も文法も単語力もまるで苦手意識なかったのに160超えることはほとんどなくて、もうセンター捨てていいかなという気持ちでいた。

大受験はセンターの比率はかなり低い。センターの対策するくらいなら、2次の対策をした方がコスパがいい。

特に数学は2次が全然ダメで、先生にもそっちに注力した方がいいと言われた。

11月くらいになるまでは確かほぼほぼ2次の勉強をしていた。センター試験の模試もあったけど、最低限の復習をするくらいでほとんどセンターの勉強をしなかった。

2次に活きない地理の勉強がとにかく苦痛だった。

 

センター試験当日

苗字が近い、指定校推薦ですでに大学の決まっていた親友が近くに座ってくれたこともあり、当日はめちゃくちゃリラックスして、受験ができた。

もはや科目の順番は覚えていないが、どれも自己ベストだなと思いながら受験を進めることができた

親友は合間合間で自分を気遣ってくれて、おかし食べる?トイレ行く?と聞いていてお母さんかよって思った。でも本当に感謝している。

 

翌日自己採点を行うと自己ベストの9割が出た。

数学1 100

数学2 90

英語 180

国語 190

物理 90

化学 90

地理 80

くらいだったと思う。

国語はめちゃくちゃ出来が良くて笑った。2択がほぼ全てドンピシャだった。

地理すごい頑張ったのになあ、とすごく悲しくなった。

(無勉強の現代社会が74くらいだったから)

 

センター試験で自己ベストを出すという勝負強さが出たおかげで、これはもう東大受かるなと思った。

学校の中でも確か上から3番目くらいだった。

でも9割取った瞬間の慢心がすごくて、ここからあまり勉強しなくなることになる。

自分はコツコツ頑張ってきたから、今の自分があるのにね。

 

勉強法とか

数学:

ほぼ2次の範囲と被っているはずだったので、あまりセンター試験の勉強というものはしなかった。

強いていうならば、逆裏対偶の数Aの部分は忘れている部分があったので、少し復習したくらい。

数2のグラフと方程式は、誘導に沿って穴埋めするのが苦痛だった。

計算量も結構えぐいので、暗算習っておいてよかったなあと思うことが多かった。

 

英語:

同じく2次の範囲と被っているはずだったので、あまりセンター試験の勉強というものはしなかった。

強いていうならば、アクセント部分が10点?ほどあったので、さらっと勉強した。

なぜかあまり点数が伸びなくて困った記憶しかない。最後は9割取れてよかった。

英語はもう単語ひたすら覚えて、長文読み続けるのが最強だった。

イディオム、いわゆる「こういう言い回しをする」みたいなのも長文読み続けたのが効率よかった。

 

国語:

同じく2次の範囲と被っているはずだったので、あまりセンター試験の勉強というものはしなかった。

小説はもう捨てていた。過去問やっても実力が伸びている気がしなかった。

現代文はひたすら新聞のコラムやら、現代文を読みまくった。

2次の比率も低いので、あまりやる気が出なかったのを覚えている。

今でも覚えているコツとしては、すげえバカな奴の話を分かりやすくまとめる。という先生の格言を今でも覚えていて、これを理解できた瞬間ものすごく安定して点数が取れるようになった。

というのも、もし分かりやすくて論理的な文章が与えられたとしたら、それは問題にならないから。と言われて、なるほどなと思った。

 

化学・物理:

知識問題が多くて、2次とは少し毛並みが違う勉強が必要だなと思うことが多かった。

ただ勉強範囲はめちゃくちゃ狭いので、あまり勉強しなかった。

模試の復習プラスαくらい。

 

地理:

苦痛を感じながらもひたすら勉強した。

自己ベストはセンターの80点

90取れる気がしなかった。やっぱりやる気って大切なんやなって。

 

雑談

あとで2次試験編を書こうと思うが、今思ったことをまとめておく

 

・よく「東大に入れる家庭と世帯年収、出身地に相関がある」というが、

うちは地方のそれもめちゃくちゃ田舎で、世帯年収は500万くらいで3人兄弟。

絵に書いたような田舎のご家庭です!環境のせいだなこりゃ!

家庭教師、塾は利用していないが、進学校ということもあって、学校がほぼ塾だった。

 

・父親は浪人してでも東大に入って欲しい、祖父母・母親は現役で指定校推薦などで医学部に入って欲しい。と言っていて、よく喧嘩していた。

お前はどっちがいいんだ!とよく言われたが、浪人だけは絶対したくなかったし、医者への興味はほとんどなくなっていて、化学でノーベル賞とりたいなって思っていた(逃避)

 

・防衛医科大の受験も考えて、大学の方?が実家に来たこともあった。

絶対落ちていたと思うし、受けなくてよかった。受験が確か早いんだよね

 

・センター利用は点数チェックのために7割と8割がボーダーである東京理科大、早稲田を受けて両方受かった。

ちなみに自己採点を一度も間違ったことがないので、受けるの意味ないんじゃないかと思ったし、受験料も合わせて3万くらいしたので親には申し訳なかった。

 

・当時ドラゴン桜やっていたと思うが、高校時代はまるでテレビを見なかった。

今の時代みたいにYoutubeやソシャゲがなくて本当に良かったと思う。

実家には漫画もほとんどなくて、勉強と部活、恋愛に熱中していた。いやあ青春だ。

 

・学歴コンプレックスにはあまりならなかったと思う。

ただ、大学時代に受験の話はあまりすべきじゃなかったなって思った。惨めになるだけだったし。

 

・子供に大学受験頑張らせる?という話をよくするような年頃になって来たが、

社会に出て思ったのは、大学受験がんばったほうがいいけど、それで全てが手に入るわけはないという当たり前のことを感じている。

この手の話は身近な例を列挙しては、極端な例だろと言う無限ループになるのはわかっていて、あまり言及したくない。

一つボーダーを引くとするのであれば、名前を聞いたことのある大学を出ていれば、あとはその人の実力次第だなと思う。

高卒と専門学校出身、あと聞いたことない私立大学というのはそれだけで損することが多いと感じた。

で、結論としてはがんばったほうが得することが多いくらいのスタンスでいるし、そうすると思う。あと国立大学って学費マジで安いんですよ

 

・●●大学と**大学どちらがいいですか?みたいな相談を受けたことがあったが、本気で答えるとするなら、

家庭の経済状況、本人の能力(奨学金取れるかどうか)、理系・文系どちらなのか、研究職・就職したいのか(大抵の人は研究職につけない)、将来どんな仕事にしたいのか、実家に帰る選択肢はあるのかあたりを明確にした方がいい。

こんなことをスラスラ言える高校生はほとんどいないはずなので、大抵の質問に対する回答は全部無駄だと思う。

最終的に一番リスクが少ないのは、都内・大都市の大学をオススメする

いわゆる大企業・一部上場企業というのは東京都内に集中しており、もしそう行った会社に行きたいのであれば、就活では間違いなく都内や都市部に通わなければならない。

あなたに特別な能力、実績がない限りは普通の就職をしなければならない。

そうなった時、地方から普通の就活をするというのは想像しているずっと大変なのである。(体験談)

 

・社会人?になってからビリギャルという映画を見たが、あとで考察みたいな奴を見てみると、桜蔭でビリがSFCに行ったという話らしくて、上位数%の集まりの中でのビリってビリじゃないし、英語と小論文だけの受験を受験勉強って言うなよって結構イラっとした。

ただ、普通の人はそんなことは気にしないし、この件で学んだ教訓といえば、

人への見せ方・伝え方次第で、話を誇張せずに、大きいインパクトを与えられると言うことだ。

社会に出るとお金持ちのおっさんはだいたい夢を見させるようなことを言ってくるが、

だいたいは針小棒大と言うか、言い方を悪くすると、口だけな人で面倒ごとを押し付けてくる人だ。

 

・ただ受験教科を絞って、効率的に受験勉強をした人って「選択と集中」と言う観点においてめちゃくちゃ頭がいいなと思う。情報系を生業にする方が、高校で習った地理、国語、物理、化学を利用する場面はあまりにも限られている。

その辺を捨てて、数学・英語に特化して受験をこなして、趣味のプログラミングに没頭するみたいな人はやっぱり最強だなって思います。

同じ理由で高専->大学編入する人もすごいと思います。と言うか実際にすごい方が多い印象がある。

 

話が色々と脱線してしまったが、これが自分のセンター試験の記録です。

あとで気が向いたら2時試験編書きます